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JY 第1章

JY 

美術家 

〜リアリティを生きるアーティスト〜

     (旅人の唄 Etu Egami ✕ JY )


この方の寛容さは一体どこから来るのだろうか? お会いする度お人柄に感銘を受ける。

JYは誰に対しても分け隔てがなく、いつも変わらぬ温かさで人を迎え入れる。

JYは革新的なアーティストであり、物理学者でもあり、宇宙的思索の探究者でもあり、無為自然を生きる自由人でもある。 

そのJYから初めてお話を伺った時は、まるで宝の山にでも出会ったかのように感じた。

今回はJYの言葉をそのまま引用しながら、JYの内的宇宙の一端が伝わるよう試みようと思う。



第1章

コミュニケーションはズレる

2025年春に三越百貨店で開催されたご長女江上越の個展では親子でコラボレーションした作品を披露している。

この個展のテーマは《コミュニケーションのズレ》である。

コミュニケーションのズレをアート作品のテーマとして着目したのは卓抜だと感じた。

改めて《コミュニケーションのズレ》についてお伺いしてみた。

「コミュニケーションは常にズレる。アートもコミュニケーションの手段の一つなので、アート作品はこの現象をどう表現するのか?

発信したものは受け手に完全には伝わらず必ずズレて認識されるが、その認識がどの方向にズレるかで結果は全く違ってくる。」


我々は通常会話が食い違っていることにも気づかないまま自分自身の世界で遊離している。

言葉の持つ意味は人により時により多様に変化し、捉えどころのない曖昧な要素を持ちながら独り歩きさえ始める

それにも関わらず、我々は何故言葉に確信を持とうとするのだろうか。

同じ言葉を使っていても同じ内容を示唆しているとは限らないのは自明の理だ。

そこに誤謬が生まれる。

相互理解が出来ていると確信している最中でさえ全くもって各々別世界に遊離していることもあり得るのである。


   (五色令人目盲 ー老子 Etu Egami ✕ JY )



ご長女江上越のメッセージをそのまま掲載しよう。

《コミュニケーションはお互いの距離を縮めるためのものではなく、むしろ距離を知るためのものではないか》

この問いかけは筆者に刺さった。

筆者はこの距離感も各々センスにより千差万別であり結果は無限に違ってくるだろうと感じた。

JYは語る。

「人は全て似て非なる存在。

遺伝子変異のようにズレることによって、新しい展開につながる可能性もある。

ズレることから、多様性が生まれる。

多様性は生命の本質である。

アートシーンでは、この多様性こそがアーティストの独自性を支える。」



コミュニケーションのズレと多様性という観点からみると今回のインタビューもその例外ではない。

JYが語る言葉を筆者が受け止める形を取ってはいるが、何を受け取るかは筆者の感性と言語感覚に委ねられている。

それ故、コミュニケーションのズレと距離感は、伝達された情報が固く閉じる方向に向かうのが、無限に開く方向に向かうのかが紙一重で分岐する。

まさに今回はそのことの試験的なインタビューと言える。

インタビューの醍醐味は伝達者に触発されてインタビュアの世界観が開かれていくことにある。

伝達された情報を自分の世界観に閉じる方向に使うなら、全くもってインタビューは双方にとって無意味なのとなる。

コミュニケーションは常にこの可能性を孕んでいる。

自分の世界観を固く閉ざすのか、打ち破って押し広げる方向に向かうのか。

我々は日常的に両局面に接しているのである。

これはアート作品を感受した時の反応ともリンクしている。

アーティストは何を発信し、鑑賞者は何を受信しているのか?


第2部はJYの言葉を紐解きながら、その循環と拡大の世界観について考察してみようと思う。

※今回のインタビューは3部構成になっている。

第2章 現代アーティスト 

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