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喜びから人生を生きる〜父へのオマージュ〜

明け方、ふいに枕元で精妙なエネルギーを感じて驚いた。
普段父を感知することは出来ないのだが、床に伏せっている私を気にかけて周波数を下げて会いにきてくれたのだろうか。
今日はちょうど父のことを書こうと思っていたので通じたのだろうか。

絵を描き、ピアノを弾き、囲碁を打ち、俳句をひねり、海釣りをし、ゴルフをし、手品を披露し、古文書を研究し、英会話を学び、畑を耕し、書を嗜む。
趣味の多い父だったが、1番のお気に入りは絵を描くことだった。
夜明け前から車を走らせてお目当ての場所まで2.3時間の道のりを1人でドライブ。
逸る心を抑えきれない。
未明の漆黒の闇が一瞬蒼に変わり、次第に色彩を帯び始めると太陽が昇り始めたことを悟る。
刻一刻と色彩が変容していく様はまさに神の御業。
大自然の懐深く分け入りお気に入りの場所に腰を据えると、自然界の美しさに身を委ねてキャンパスに移し取っていく。
キャンパスに塗り込められていくのは自然界が織り成す壮大なドラマなのか、はたまた自分自身の内奥の投影なのか、呼応するような大自然との対話に惹き込まれていく。
油絵の具のついたディレクターズチェアに身を沈め、ペットボトルのお茶とおにぎりを片手に日がな一日キャンパスに向かう。
「人生最良の時間」
父は何度もそう口にした。

     (父がお気に入りの油絵)

帰宅後、仕上げた作品を誇らしげに家族に披露しながら晩酌をやる父。
酒の肴はいつも地元で採れた海の幸、山の幸。
海あり山ありの風光明媚な半島に位置する地元では各家々から食材のお裾分けに事欠かない。
海からは、鯛、きんき、のどぐろ、海鼠、ズワイガニ、鮑、サザエ、牡蠣、したなみ、貽貝、あおさ、めかぶ等々採れたての食材。 
山からは、わらび、しどけ、ぜんまい、たらの芽、こごみ、たけのこ、うど、ぼうふ、きのこ等々これまた旬の食材。
田舎の食卓は実に豊饒である。

何百点という父の作品を見ているうちに一端の美術評論家のようになってしまった家族に言いたい放題言われながら、円卓を囲む夕餉の時間。
こんな日の食卓の主役は至福に満たされた様子の父であり父の描いた油絵だった。
お喋りの大好きな父の話は食事中延々と続き、父の生命の歓喜がさざ波のように家族に伝播していく。
今思うと何と贅沢な父との時間だったろうか。
人の存在の美しさを思わずにはいられない。

父の絵には父が愛した世界と、父の眼差しと、父そのものが宿っている。
肉体が消えても遺るものがある。
人がこの世で何かを表現するとは何と神秘的なことか。

       (父最晩年の油絵) 

父はよく畑も耕していた。
トマト、きゅうり、ナス、ピーマン、西瓜等の野菜。
カサブランカ、牡丹、芍薬、ダリア、ツツジ、雪柳、小手毬、藤の花、桔梗、チューリップ、水仙、すずらん等の花々。
栗の木、柿の木、山椒の木、桜の木、枝垂れ桃等の木のもの。
私が嫁ぐ日の朝に、栗の木を植えたと教えてくれたのだが、どんな思いでそれを植えたのだろうか。
畑はさながら宝箱のようだった。
収穫した地の恵みを私たち家族もご相伴に預かるのだが、どうやってこれらの多彩な植物を育てているのか皆目わからなかった。
まるで秘密基地のようにひたすら黙々と独りで畑と語り合っていたように思う。

繊細な父は花々をこよなく愛した。切り花にしてくれた花もあるが、切り取らず畑に見に行くように言われた花も沢山あった。大地に植えた種が芽を出し大輪の花を咲かせるまでの過程をどんな思いで見つめていたのだろうか。

「死は苦しみの筈がない。快楽の裡に幕を閉じる。」
というのが父の持論たった。
海岸沿いの散歩が父の日課だったが、それは真冬の吹雪の日も例外ではなかった。
家族が止めても敢行する。
30分経ち、1時間経ち、1時間半経過しさすがに家族が騒ぎ出した頃にひょっこり帰ってくる。
聞けば何と砂浜を走っていたと言うではないか。
父は80歳を幾つか越えている。
「突然心臓発作で倒れたらどうするの?」
青くなった家族に
「思いっ切り走ってパタッと死んだら本望じゃないか!」と言い放つ。
家族はぐうの音も出ない。
父は死を恐れてはいなかった。

旅立ってから、よく父は風に乗って現れるのだが、自然をこよなく愛した父らしい登場の仕方だと思う。
何処からともなくふわっと風と共に現れて風と共に横切っていく。それを感知した時の心の奮えを何に喩えよう。
あるいは大自然の美しさを堪能している時、ふいに私の眼差しと父の眼差しが重なることかある。手品で家族をあっと言わせて喜んでいた父らしい遊び心。
目の前の自然の織り成す造形の美しさと、次元を超えて重なり合う眼差しの神秘に溢れる涙を止めることが出来ない。

父が遺してくれた壮大なもの。
父娘として存在してくれたことの奇跡、尊さ。
生まれて落ちたその時から父親として過ごしてくれた時間の全て。
声や表情や立ち居振る舞いや空気感、父が成したこと、与えてくれたもの、その存在の全て。

初めて父の死を受け入れた時に、この天から授かった壮大な贈り物を前にただただ圧倒されたのである。
肉体の交流はなくても、人を愛し続けることが出来ることを初めて知った。
父への感謝は日毎に大きくなるばかりである。
この名付けようもない愛に、どう冠するのが相応しいのかわからない。

遡って、時はコロナ禍の真最中。
病の床に伏した父との面会も叶わず、クリスマスイブの日にオンラインで話したのが最期のお別れとなる。
食事も摂れなくなり管でつながれた痛ましい姿で
父が遺した最後の言葉は「I’m happy.」

「I’m happy.」

死期を悟って尚こう言い放つ父。肉体は死を迎え入れても尚生命への好奇心を失わない父。
残された私たちは存在の荘厳さに手を合わせるしかないのである。

(父は油絵の他に墨絵も沢山描いていて家中が父の絵で溢れていました。)

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